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008 清水青空

last update Last Updated: 2025-04-05 19:00:26

 大地の姉を前にして、海は無駄に緊張していた。

 これっておかしくない? 別に私、大地と付き合ってる訳でもないんだから。

 昨日出会ったばかりの他人、そのお姉さんってだけのこと。

 緊張なんてしなくていい、普通にしろ、私。

 そう自分に言い聞かせるが、興味津々な姉の視線に変な汗が止まらなかった。

「ほら、コーヒー」

 大地が姉にカップを渡す。そして海にも渡すと、そのまま姉の隣に座った。

 おいおい大地! なんでそっちに座るんだよ!

 二人して私の前に鎮座して。これじゃほんとに、私の品評会じゃないの!

 海が心の中でそう叫んだ。

 落ち着きなくコーヒーを飲み、姉に作り笑顔を向ける。

「……」

 そんな海を姉が凝視する。

 最初は戸惑っているようだった。しかし今は、弟にふさわしい女かどうか見定めているように見えた。

 空気が重い。大地、なんか喋りなさいよ、そう思った。

 そして同時に。海は姉の容姿が気になっていた。

 大地を抱きしめている時。姉が小柄な女性だということは分かった。頭ふたつ分、大地より小さい。

 普通に見れば可愛い女性だ。しかし海は、その体型にも違和感を感じていた。

 痩せている、と言えば聞こえがいい。だがそんな言葉で表現出来ないほど、姉は華奢な体型をしていた。病的と言っていいぐらいだ。

 そしてもうひとつ。

 彼女の右目は眼帯で覆われていた。

「気になる?」

 視線に気付かれた、しまったと思った。しかしもう遅かった。

 海が神妙な面持ちで頭を下げる。

「す、すいません、その……じろじろ見ちゃって」

「あはははっ、素直でよろしい。まあでも気になるよね、こういうのって」

 そう言って姉が眼帯に触れた。そして次の瞬間、肩を震わせてうつむいた。

「え……え? え?」

 突然のことに海が動揺する。

「うずく……うずくんだよ、この目が……」

「だ、大丈夫なんですか」

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    「いらっしゃいませ!」 喫茶とまりぎで。  海が元気よく声を上げた。「あらあら海ちゃん、今日も元気いっぱいね」「あはははっ、ありがとうございます濱田さん」「ほんと、海ちゃんが来てから、ここの雰囲気が明るくなったわ」「そんなそんな。褒めても何も出ないですよー」 照れくさそうに笑う海。  そんな彼女に微笑みながら、浩正〈ひろまさ〉が濱田に声をかける。「いらっしゃいませ濱田さん。スタッフを褒めてもらって嬉しい限りなのですが……前は暗かったですか」「ああ浩正くん。ごめんなさいね、そういう意味じゃないのよ。ここはいつ来ても和やかで楽しくて、私たちにとって憩の場所なんだから。海ちゃんが来てくれて、もっともっと楽しい場所になったってことよ」「はははっ、ありがとうございます」「海ちゃんのおかげで青空〈そら〉ちゃんも楽しそうだし。ほんと、いい人が入ってくれてよかったわ」「そんなー。濱田さん、褒めすぎですってばー」「うふふふっ。ほんとのことだから、照れなくても大丈夫よ」 客と海のやり取りをパントリーで眺めながら、誰に話すともなく大地がつぶやいた。「なんだよこの状況……」 * * * 大地と海が過去を打ち明けあったあの時、海は言った。  あんたを幸せにしてみせると。  その言葉にどんな意味が込められているのか、その時の大地には分からなかった。 全てに絶望し、人を信じることを放棄した自分には、この世界で生きる資格がない。  そして自分にとって最も大切な存在、青空〈そら〉の幸せの最たる障害。それが自身であり、一刻も早く取り除きたいと思っていた。そして事実、行動を起こした。  しかしその時、海と出会ってしまった。 海の死を見届けるまで、俺は死なない。  彼女と交わした約束を、大地は後悔していた。  当の海が、まさかここから復活するとは思ってもなかった。  確かに

  • 青空と海と大地ーそらとうみとだいちー   020 矛盾だらけの決意

     海のことも信じていない。 そう言ってから、部屋の空気が重くなったと思った。「……」 大地は頭を掻き、小さく息を吐いた。「俺たちの話はこんなところだ」「うん……」「でもまあ、聞いたからと言って、青空姉〈そらねえ〉に変な気を使わないでやってくれ。そういうの、青空姉〈そらねえ〉はすぐ分かるから」「……分かった」「浩正〈ひろまさ〉さんにもな」「どういうこと? 今の話に浩正さん、全然出てこなかったけど」「浩正さんは、青空姉〈そらねえ〉の婚約者だ」「そうなんだ……」 確かに二人の距離は、雇い雇われの関係よりずっと親密だった。そう思い納得した。「浩正さんは全部知ってる。でも浩正さんにとって、それは大した問題じゃないんだ。 それは全部過去の話。僕が知りたいのは、これから青空〈そら〉さんがどんな人生を歩みたいのか、それだけなんですって」「……」「どれだけ幸せな過去を持っていても。どれだけ立派な人生を歩んでいても。これから堕ちていく人もたくさんいます。僕にとって過去というのは、その程度のものなんですって笑ってた。 どれだけ辛い過去を背負っていたとしても、それでも前を向き、幸せを求めて進もうとしてる青空〈そら〉さんのことが好きなんですって」 その言葉に海が微笑む。 そして思った。 浩正さんって、裕司〈ゆうじ〉とちょっと似てるかも、と。「青空姉〈そらねえ〉もそんな浩正さんのことが好きで、いずれ結婚したいと思ってる。何より浩正さんの夢を応援したい、一緒に叶えたいと思ってる」「いつかあの場所で、介護施設を立ち上げるって夢?」「ああ。今みたいな協力じゃなく、自分が理想とする施設を立ち上げたいって夢だ」「浩正さんなら出来ると思う」「俺もそう思う。まあ、

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